前回、単独所有、レンタル、シェアの問題について書きました。
マンションも同じで、個人財産で単独所有でないということは「シェア」をしている(あるいはその部分がある程度ある)ということです。これは、決して「安いレンタル」という関係ではなく、各人がその所有者としての管理責任を負っていて、その判断と費用負担を行うからこそ、その資産(性)を最適に生かせるようになる、ということです。
それでも、最近は「マンション」の管理の世界では、その「管理」に積極的に関わろうという意識が低下しているようです。昔(昭和の時代?)は自宅不動産を持つということはたとえ小さなマンションでも、そして中古であったとしても、「一国一城の主」として周りに誇れるものであったと思います。そして、賃貸住宅を借りるにもいろいろとコストがかかるものでした。ある意味では、「マンションの区分所有者」であることは十分な「プライド」であって、「それを維持することに必要な管理活動」に参加することの動機付けにも十分になっていたようです。
今はどうでしょうか?
新たに住宅を買おうとする人の数の減少(少子高齢化)、過剰な住宅ストック、そして、上記の時期に分譲されたマンションの高経年化(とそれに伴う維持管理コストの大幅な上昇)、建替えも(当然経済的な合理性として、戸数も増やさず、費用もかけず、40年~50年経った住宅を新しいものに建替えることは不可能ですが)簡単ではなくなっています。
マンション(を含む住宅)を所有することが生活のための「コスト」でしかない、と捉える若い世代の人が増えているようです。
それから、その高経年住宅に住んでいる多くの高齢者が、頭の中で考えていること、それは「このマンションの居室のどこまでが自分のもので、どこからが自分のものでないのか」であって、「その自分のものでない部分には、自分の生活に関係ないことだからできるだけお金をかけたくない、そこの管理活動にも参加したくない」という意識が強くなっているようです。
そうです。敷地や共用部分(の一部)を「所有している意識」が低下しているのです。それに「シェア」という関係(というか権利と義務)がよくわかってない様なのです。
その結果は?
そうです。「管理不全マンション」の入り口に立ちつつあるということなのです。でも、まったく気がついていないのです。自分の単独の所有権が及んでいるところだけは考えるけれど、及ばないところは、全く考えられなくなっているのです。(どうやっても同じだから(変わらないから)費用が安いに越したことはない、と)
そうです。共用部は、管理費という利用料を払う「レンタル」の世界に入ってしまっているのです。なぜ?
もちろん不動産価格が昔ほど高騰しないのも理由ですが(でも、これは当面帰っては来ないでしょう)、共有部を(設備面だけでなく生活環境そのものも)共有(シェア)していることの「メリット」を感じていない、そして、それを維持、向上させようという意欲が湧いてこないということです。
では、何を言いたいのか、というと…
そうです。特に「高経年マンション」に住んでいる皆さんに、そして、これから「これから有利な条件の住宅を買いたい」に人たちに、「共用部を適切に管理していること」で得られるメリットをちゃんと感じてもらうことができたら、そして、その「メリット」をイメージできたら、「シェア」のいい点を実感してもらえれば…
きっと、多くのマンションオーナーに、積極的に「管理」にかかわる意識が芽生え、これから住宅を求める人にも「夢」を提供することになるのでは…
ということです。そう、この点で高経年マンションには「長年の実績」があるのです。新築マンションがここではかなうはずがないのです。
と、意識の話ばかりしましたが、次は、少し具体的に…
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